信用とデジタル通貨

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通貨はお金のことで、モノやサービスを交換する手段です。受取る側と支払う側の双方が信じるもの、と言えます。通貨自体も物理的に存在しているモノでした。しかし、1990年代後半からデジタル化し、クレジットカードやペイパルを皮切りに、さまざまなオンライン決済手段が登場しています。物理的なモノではなくなってきました。
デジタル通貨の一つにビットコインがあります。国家などの巨大組織から影響を受けない自由な金融取引を目指して、ということで出来上がった代物です。先にも書いた通り、取引には信用が必要です。ビットコインも信用を積み重ねて大きくなってきました。デジタル通貨の変遷を辿ると、ITというものに疎い人でも、その物語を楽しめ、理解を深めることが出来ます。例えば、代表的なデジタル通貨であるビットコインに的を絞れば、その理念や仕組みについて、大枠は掴むことができます。そして、お金というものの正体についても理解が深まるはずです。

デジタルであろうがリアルであろうが、「お金」それはすなわち「信用」に他なりません。お金が発明される前は、物々交換が当たり前でした。しかし、物々交換には、ナマモノなど減価償却しやすいものの交換には難しく、長く持っておくと物としての資産が目減りする、という弱点がありました。また、本当に等価交換できているのかというのも検証が難しいものでした。そこで、お金が登場したわけです。お金に必要な機能は、それを使う皆からの信用です。皆というのは、それ(お金)を使うすべての人のことです。交換したいものと、支払いのお金の額が等価でないと思われれば(信用がない)、取引は成立しません。信用が担保できなければお金として機能しないのです。

もう少し俯瞰して見れば、人、会社、国としての価値もそうで、すべては信用で成り立っています。給料、売上高、税収というものは、人、会社、国がそれぞれ積み重ねた信用による産物なのです。信用は、短期的に一夜にして築くことは不可能で、相応の年月を経て成長させていく必要があります。日々の言動の積み重ねこそが、人としての信用にとって極めて重要なものになります。

会社の時価総額はどうすれば上がるか。それは、一番簡単な方法は業績予想を達成すればいいのです。有言実行。約束を守る。これに尽きます。口だけで大きなことを言ったところで、達成されなければ信用されるはずはありません。言行一致度の高さこそが、その人の信用度と言えます。名著『7つの習慣』にある「信頼残高」と呼ばれるものだと理解しています。信用は、お金と関連させることでより立体的にその実態が捉えられます。
組織の中の出世競争も同じで、上司から信用されなければ、のし上がっていくことはできません。信用されない人間は、次第に居場所がなくなっていきます。出来もしない安請け合いはそれを請負う側の一時的な自己満足でしかなく、その結果が伴わないのであれば、依頼した側にとっては迷惑でしかないのです。信用できない人には、もう仕事を依頼しなくなるでしょう。任される仕事がないので、不要というわけです。
役に立ちたいという気持ちは分かるのですが、出来ないことは出来ないと言う勇気も必要です。それでも何とか困っている相手を助けたいのであれば、まずは自分自身の実力を磨くしかありません。あるいは、今の自分にできる範囲のこと、例えば納期などの条件を緩和してもらえないか交渉するのも手でしょう。それが、相手のためであり、何より自分のためでもあるのです。虚勢を張ったところで、必ず化けの皮は剥がれます。もちろん、新しいことへの挑戦はやるべきです。ただ、引き受けたからには依頼人のために死に物狂いでやり遂げるべきです。仮に達成されなかったとしても、その姿勢だけは評価される可能性はあります。

話を戻します。デジタル通貨をはじめ、これからはありとあらゆる分野でデジタル化が加速していくことは間違いありません。しかし、どれだけデジタル化が進もうが、根本にあるのは信用です。ビットコインも同様、それができた当初は得体の知れないものに信用を置く人は少なかったのです。それが、今年2024年3月5日時点での時価総額は1兆3500億ドル(約202兆円)を超えるまでになっています(日本経済新聞2024.3.6付)。優れた交換手段として世の中に認められることで、価値が高まってきたということでしょう。

小さなことからでも約束を確実に守り、信用を積み重ねることで成長していくことが出来るのです。

参考文献:デジタル・ゴールド