運も実力のうち
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何をするにしても、運が良いというのは非常に重要な要素だと思います。ここで言う運とは、宝くじが当たるような偶然の幸運のことではありません。むしろ、見方によっては宝くじで一攫千金を手にすることは不運の始まりかもしれません。なぜなら、分不相応な金銭を手にしてしまうと、人は容易に感覚を狂わせてしまうからです。一時的な贅沢が当たり前になり、資産を使い果たしても浪費癖が抜けず、結局、当選前より貧しくなる──そんな話を聞いたこともあるでしょう。人間、手にしたものを使いこなす力がなければ、それは福ではなく災です。
では、何をもって運が良いと言えるのでしょうか。棚から牡丹餅的に手に入れたものは、往々にして不幸の種になります。ゆえに、運が良い人とは偶然を必然に変えられる人──つまり、チャンスを見つけて掴む力を持つ人のことだと思います。日常の中には、実は無数のチャンスが転がっています。が、それに気づけるかどうかは、本人の準備の度合いで決まります。「これは使える」と直感できるということは、すでにそれを使いこなす素地が整っているという証拠です。従って、チャンスに気づける人こそが、運が良い人なのです。
そしてもう一歩大事なのは、気づいただけで満足せず、掴みにいくことです。気づいて、掴んで、使う──この一連の動作ができて初めて実力があると言えます。
今の自分は、これまでの行動の結果です。当たり前ですね。ここに議論の余地はありません。だからこそ、これから運を良くするためには、生き方そのものを変えるしかないということです。
まず、行動量の多さが必要だと思います。チャンスを掴みたいなら、それ相応の行動を起こすしかありませんから。他人から見てそこまでやるのかと思われるレベルにまで行動を上げなければ、運の神様もこちらを見てくれません。それができなければ、潔く別の土俵を探すのも選択肢です。チャンスは、いつ・どこで・どの形で現れるか分からないので、それと気づいたときに即、掴みにいける状態を整えておくことでしょう。
例えば、願ってもない大きなチャンスが訪れたとしましょう。そこで多くの人はこう思います。「自分にこんなこと、できるだろうか」と。しかし、冷静に考えてみてください。もし本当に自分に縁のない話なら、そもそもそのチャンスには気づけないはずなのです。気づけたということは、すでに挑戦する資格があるということです。挑戦には苦痛もありますが、やらずに延命を続けるのは退屈しませんかね。せっかく生まれてきたのなら、一度くらいは挑戦してみるのも良いものです。その機会に気づけて、掴めること──それこそが運が良いということなのだと思います。
また、運の良い人は、偶然に頼らないと思います。日常の中に潜むチャンスを見抜いて、掴みに動きます。それを繰り返すうちに、周囲からは運が良いと見られるようになります。しかし、当人からしてみれば「いや、運が良いんじゃなくて、動いたからそうなっただけだ」と。要は、運とは結果としての実力なのではないでしょうか。動かない者にチャンスは微笑まないですし、運を語る前にまず行動することが、最初の一歩になるはずです。