理想を下げず魅力を上げる
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以前「貪欲さが生む成長」という投稿で書いた内容と、今回のテーマは少し通じるところがあります。今回もまた?、心の奥底にたまる、なんとも言い難いモヤモヤを、思い切ってバサッと言葉にしてみたいと思います。
さて、異性としてのパートナーに関する話題です。たとえば、特定の層を想定して書かれた書籍や動画などは、いつの時代も人気が高く、多くの人の関心を集めています。ただ、それを対象外の立場から読んだり観たりしても、意外とあるあると頷けることは少なくありません。むしろ、その視点で語られる処世術やスタンスに対して、対象外の側のほうが首肯する場面が多いのではないでしょうか。なぜなら——これは人間関係すべてに言えることですが——自分と異なる立場の考え方というのは、当事者同士であれこれ議論していても、実のところそう簡単に理解しきれるものではないからです。いわば、「○○という人はだいたいこうだろう」と、一方的に論じられているだけのケースが多いのです。
私自身も、そういったある側面に寄ったコンテンツを読むたびに、たしかに…と感じる瞬間が何度もありました。そして以前も書いた通り、お金はすなわち力です。ここで強調したいのは、人生において、誰とどのように関係を築くか——これは決して軽視すべき選択ではないということです。人生の時間は限られています。にもかかわらず、自分にとって価値のない関係に長く執着してしまうことほど、非効率なことはありません。
たとえば——これはあくまで一例ですが——本当は上質なものに惹かれる傾向があるのに、なぜか人間関係においてだけはその価値基準をどこかに置いてきてしまっているようなケースです。もちろん、価値とは収入だけの話ではありません(※このあたり、敏感な話題ですのでどうかご容赦を)。が、もしも自分の感性が高級ブランドのバッグやジュエリーに向いているのだとしたら、なぜかそれとは対照的なところに全力で突き進んでいるのを見ると、一歩引いて「ん?」と首を傾げたくなるのも事実です。誰かを否定する意図はまったくありません。ただ、ふと立ち止まって冷静に見てみると、それって少し違和感ありませんか?と感じる場面はあるという話です。
人間は誰でも大切な誰かから応援されたり、励まされたりすれば、自然と力が湧いてくるものです。気持ちが前向きになって、頑張ってみようと思えることだってあるはずです。ちょっとオーバーな表現をすれば、パートナーが持つ理想像や期待値こそが、未来をかたちづくっていく力になるのではないかと、そんなふうに思うこともあります。
古い考えだと言われるかもしれません。でも、それがすべてではないと、私は思っています。最近は、何かと「強くなった」「弱くなった」と、あちらこちらで語られるようですが……まあ、世間というのはいつの時代も他人の変化にとにかく言及したがるものです。強さの定義はともかくとして——理想像を下げてしまうのは、やっぱり少しもったいないという気持ちを私は持っています。
従って、パートナーから求められるような魅力を自分なりに磨き続けること。それが大切なのではないかと感じます。男女問わず、互いに持つべき魅力や理想像があり、それに向かって行動が変わっていけば、それだけで世の中はもっと良い方向に変わるのではないか。そんな希望を私は持っています。