感情は、抑えるものではなく使うもの
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信頼できる人からの愛着、いわゆる「安全基地」を持てないと、精神的に不安定になりやすいと言われています。母親に代表されるような、信頼できる存在がいることで、乗り越えられる壁が増えるということなのでしょう。
特定の人と相互に信頼できる人間関係を築けた人は、目標に対して果敢に挑戦できる土壌が育っていきます。何かあったときの心の拠り所があるかどうかで、言動が変わるのはごく自然な話です。
幼少期に母親からの愛着が不足すると、愛着障害になりやすいとも言われています。幼い子どもにとって、母親からの助けが得られない状況は、世界が崩壊するに等しい過酷さです。
一方で、愛着障害が必ずしも悪いことかというと、そうとも言い切れません。夏目漱石や川端康成といった文豪も、愛着障害だったとされています。文学に限らず、高い創造性を発揮するには相当のエネルギーが必要ですが、そのエネルギーは一体どこから生まれるのでしょうか。
人によって違いはありますが、怒りや悲しみといった感情の起伏が原動力になることがあります。愛着障害によって生じた激しい感情を、創造や仕事のエネルギーに変換できた人は、高いパフォーマンスを発揮できる可能性があります。ただし、感情をエネルギーに変えるのは簡単なことではありません。
ストレスを溜め込むのは精神衛生上よくありませんし、だからといって赤提灯で管を巻いて発散してしまうのも、少々もったいない。翌朝、何も解決していないうえに二日酔いだけが残ることも多いですから。
強烈にインプットされたストレスを、どうやって仕事や成果に転換するのか。この視点が重要になります。
生きていれば、誰しもカチンとくる瞬間はあります。それをそのまま相手にぶつけて発散しても、周囲から評価されることはありません。怒りに任せて暴力を振るっても、当然ながら何も解決しません。
例えば、上司から腹の立つことを言われたとしましょう。ものは考えようです。これは「大きなチャンスを与えられた」と捉えることもできます。今までなら、ブツブツ言いながら指示に従っていたかもしれません。それなら今度は、仕事で圧倒的な成果を叩き出し、その上司を「あっ」と言わせることに専念してみてはどうでしょうか。最高の復讐とは、その場で不貞腐れることではありません。成果を会社に認めさせ、気づいたら上司を追い越していた――これ以上に静かで効く復讐はないでしょう。
愛着障害に限らず、一見すると普通の人なら凹んでしまいそうな境遇でも、見方を変えればチャンスに転換できることは多々あります。ものは使いようです。トンカチを持った途端、周囲のものがすべて釘に見えてしまうのは、やや知性が足りないと言わざるを得ません。窮地に追い込まれたと感じたときほど、一度冷静になり、現状を打破する方法を考えてみてほしいと思います。
愛着障害も、見方を変えれば成り上がりの原動力になり得ます。その過程で、自分にとっての「真の安全基地」が形作られていくのではないでしょうか。