後悔ではなく行動を
- 記事
今回は少し壮大なテーマになります。人の活動が、地球の生態系を確実に変えています。地球上で一個の生き物として生きていくためには、他の生き物を犠牲にして食べていく必要があります。人間も例外ではありません。
世界人口白書によると、2024年の地球人口は81億人に達したとのことです。これだけ多くの人が、地球という限られた空間で生活していくためには、当然ながら膨大な食料が必要になります。そして、人間だけでなく、地球上には数多くの生命が共存しています。そうなると、食物連鎖において下位に位置する生き物——つまり犠牲になる生き物——が必要になるという構造になります。生態系に影響が出ないわけがありません。食料だけではありません。インフラ整備や都市開発など、人が社会生活を営む上で自然に与えている影響は、計り知れない規模に達しています。
ある説によれば、地球全体の80%に、人が何らかの影響を及ぼしているとも言われています。人の生活によって、すでに姿を消した動植物は数多く存在します。それが、人が最低限生きていくためだけの干渉だったのなら、ある程度の理解もできます。しかし、暴利を貪るため、私利私欲や快楽のために消えていった種も少なくないはずです。一方で、人という種の存在に依存することで、生き延びてきた動植物も存在します。これもまた事実です。
科学の進歩のおかげで、すでに絶滅した動物を復活させる技術も開発されつつあります。「近い将来、マンモスが動物園で見られるかもしれない」といった話も聞くようになりました。つまり、人間の行動が他の動植物を傷つける一方で、守ることや再生させることも可能な時代になったということです。実際、生態系を保全するためのさまざまな取り組みも行われています。しかし、それらが倫理的に正しいかどうかは、慎重に考える必要があります。絶滅が危惧されるや否や、該当する種はすぐに人間の管理下に置かれ、厳重に保護・繁殖が試みられます。フラスコ内で生きる動植物は、果たして幸せなのでしょうか?生態系に関する本を読んでいて、ふとそう疑問に思うことがあります。人のエゴによって個体数が減少し、いざ存続が危うくなると、今度は人の手で繁殖管理される——これはあまりに勝手な話ではないかと。そう感じているのは、私だけではないはずです。
問題はそれだけにとどまりません。人が手を加えなかった、完全に自然淘汰によって絶滅した種についても、科学的に復活させようとする動きが見られます。これをどう感じるでしょうか?先ほど「自分勝手」と書きましたが、意見は人それぞれです。倫理的に正しいかどうかは、個々人の価値観に委ねられるべき話かもしれません。あなたがどのような意見を持っていても、それはそれで尊重されるべきものです。ただ、きれいごとは抜きにして言えば、「もう起きてしまったことは仕方がない」という事実もあります。従って、今ある現実を受け止めたうえで、これからどうしていくか——そこにこそ、意思と責任が問われているのではないでしょうか。
人のエゴによって弄ばれてきた動植物が存在するという事実を知ったなら、そこから何を学び、何を教訓にしていくかを考えなければなりません。わずか数頭となったキタシロサイの、どこか哀しげな目を見て、何を感じるでしょうか。フロリダパンサーやタイセイヨウセミクジラのような絶滅危惧種の気持ちは分かりませんが、想像することはできます。こういった事実に想像を巡らせることが、自然との向き合い方を変えるきっかけになるのではないかと思います。
起きてしまったことを嘆くだけでは、何も変わりません。大切なのは、同じ過ちを二度と繰り返さないために、何ができるかを考え実行することです。未来のことは、今後の行動でいくらでも変えていくことができると、私は思います。
