当たり前の基準は人それぞれ

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当たり前の水準は、少しずつ変えられるはずです。人は、自分にとっての当たり前の水準に合わせて成長していくものだと思います。一流には一流なりの、二流には二流なりの、三流には三流なりの考え方や習慣があります。これは優劣というより、単純に基準が違うという話です。もし一流と呼ばれる人に近づきたいのであれば、その人たちの考え方や習慣を真似してみるしかありません。もっとも、天才は除いて、誰だって最初から一流でスタートできるわけではありません。多くの人は人生のどこかで「今の自分のままではダメだな」と感じ、少し孤独になりながら自分磨きに向き合う時期を経験しているように見えます。一流と呼ばれる人たちは、自分磨きの量も質も、やはり桁が違います。正直、「そこまでやるのか」と思うこともありますが、本人たちは淡々とやっているだけ、というケースがほとんどです。

「君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉があります。一流と呼ばれる人の行動を見ていると、この言葉は案外しっくりきます。一流の人たちは、ベタベタと群れることをあまりしません。もちろん人付き合いが嫌いなわけではありませんが、常に誰かと一緒にいないと落ち着かないという感じでもない。自分の時間を大事にしている、という表現の方が近いかもしれません。
もし一流を自称している人が、常に群れて行動しているとしたら、その人はまだ途中段階なのかもしれません。少なくとも、一流の人たちは水のようにさらっとしていて、必要以上に固まらない印象があります。

一流を目指すかどうかは人それぞれですが、もし少しでも近づきたいと思うなら、自分の時間を確保し、自分への投資を続けることが大切だと思います。投資と聞くと大げさですが、この世で一番リスクが低くてリターンが大きい投資は、やはり勉強ではないでしょうか。ユダヤ人の教えにも、「自分の頭に入れたものは誰にも奪われない」という話があります。世知辛い世の中ですが、この点は今も昔も変わりません。
ただし、ひとつだけ注意したいことがあります。自分にとって心地いい意見や情報だけを集めて満足しないことです。たまには、耳の痛い意見や反対の考え方にも触れてみる。そうすると、自分が大事にしている考え方や習慣の弱いところが見えてきます。その粗を埋めるために、また少し勉強する。この繰り返しが、結果的に自分を強くしてくれるのだと思います。

二流以下が考えられる範囲、思いつく枠の中にはどうしても同じような景色しか見えません。そこを一歩はみ出したときに、初めて違う世界が見えてくることがあります。一流が一流たる所以は、能力だけでなく、そもそも当たり前にしていることが違うからなのだと思います。一般的に言う常識は、多数派の平均値です。だから、そこから外れる人が少数派になるのは自然なことです。そこまでやるのかと感じる基準を、無理のない範囲で少しずつ引き上げていく。それだけでも、見える景色は変わってくるはずです。

念のためですが、二流以下がダメだと言いたいわけではありません。あくまで、もし一流を目指すのであればこういう考え方もあるという話です。目指すかどうかは自由です。ただ、目指すなら当たり前の水準を少しずつ変えていく必要がある。それくらいの話だと思っています。