やらなかった後悔より、やった失敗
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敷かれたレールの上を、ひたすら突っ走ろうとする人は少なくありません。しかも、そのレールがどこに向かっているのか、いちいち確認もしないままです。いわば思考停止した状態ですね。とはいえ、突っ走るだけの行動力があるなら、まだましです。中には、走りもせずとりあえず時間だけを空費している人もいます。これが一番もったいないです。翻って、自分はどうでしょうか。これまで親や先生、上司の言うことを、深く考えずに鵜呑みにしてこなかったでしょうか。私自身もそうでした。昔は正しかったかもしれませんが、今も正しいとどうして言い切れるのでしょうか。
少し極端な言い方をしますが、親や兄弟のような肉親であっても自分にとっては他人です。世界で一番近い他人に過ぎません。自分以外は全員、他人です。他人が定義する良い人生が、自分にとっての最高の人生とイコールでしょうか。一度、静かに考えてみてもいいのではないでしょうか。良さや正しさの定義は、人によって違います。そう思うのは私だけではないはずです。
他人が良いと思っているやり方で何十年生きたとしても、それは自分自身の人生の時間として、果たして胸を張ってカウントできるでしょうか。周囲の反対を押し切ってでも、本当にやりたかったことに挑戦した時間。その方が、よほど自分の人生の時間と言えるのではないかと思います。やりたいことが見つからないのは、何もやっていないからかもしれません。もしくは、単純に行動量が足りないだけか。三日坊主でも構いません。とにかく動くことです。忙しいサラリーマンにとって、これ以上にやりたいことを見つける方法は、正直あまり思いつきません。
ものすごく画期的なアイデアを思いついても、実行しなければ、あるいは公開しなければ、何もなかったのと同じです。考えることは大事ですが、行動に落として初めて意味を持ちます。人間は本来、新しいものや知的なものに興味が湧くようにできていると聞きます。興味が湧いたら、とりあえず試してみる。やってみてしっくりこなければやめればいい。もしくは、時期をずらして再挑戦すればいいと思います。そうやって手を付けていくうちに、必ずハマるものが出てくるものです。楽しいと感じたことは、飽きるまでやり続ければいいと思います。努力しなくても、周囲にやめろと言われても、勝手に続いてしまうものだからです。眉間に皺を寄せて頑張って身につけたスキルよりも、楽しみながらやったものの方が、結果として研ぎ澄まされることが多いと思います。成長スピードもまるで違います。
挑戦してきた一つ一つの点は、そのときは意味がないように見えても、やがてどこかでつながり始めるものです。やりたいことは、できる範囲で全部やってみましょう。たった一回キリの人生です。必要以上に我慢する理由は、案外どこにもないのかもしれません。もちろん、責任を放り投げろという話ではありません。ただ、自分の人生のハンドルくらいは、自分で握っていたいものです。レールの上を走るにしても、どこに向かっているのかくらいは確認してからでも遅くはないはずです。