小さな継続による大きな成果

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例え平凡なことでも、それを積み重ね、継続することができれば、やがて非凡と言われる存在になれます。口で言うのは簡単ですが、実行するのは難しい。例えばイエローハットという会社では、経営者が自ら進んで掃除をし続けることで、その掃除文化を社内に定着させたそうです。善い行いにより、関わる人を幸せにしていくことで、結果的にはその行いをしている本人が一番幸せになれる。これを、徳を積むというのでしょう。 誰しも人並み以上でありたいと考えるものです。人ができないような非凡なことをやってやろうと背伸びする、その野心は大事です。しかし、そのプロセスを省みず、犯罪でさえなければどんなことをしてでも大きなことをやろうとすると、なかなか上手く行かないものです。一見、目標に向かって最短コースを進んでいるようで、実はそうではない場合もあります。逆に、遠回りしているように見える平凡なことを積み重ねていくことで、目標に到達する方が実は早い場合もあります。もちろん、すべてはプロセスではなく結果によって評価されますが、良いプロセスを踏まないと結果はついてきません。

本当に利己的な気持ちは、利他的な行動から生まれます。以前に、“遺伝子と人生戦略”で触れました。人は、放っておけば、我田引水的な利己的な行動に走るように設計されています。生物として生まれ落ちたからには、弱肉強食の世界を生き抜いて、後世へと繁栄のための情報を伝えていかなければなりません。地球上で人間がここまで繁栄できた理由は、他のどの動物よりも頭脳がずば抜けて発達しているからです。頭を使い、種族間で協力することにより繁栄してきました。協力するためには、相手のことを慮る心が必要です。周囲の仲間を気遣えず、ズルをしてでも自分だけ大きなことを成し遂げようとする人は、結局何も成し遂げられません。一時的な成功はあっても、長くは続かず間もなく一発屋として落ちぶれていくでしょう。 いきなり利己的な気持ちをむき出しにするのではなく、まず利他の気持ちを持つことで、巡り巡って自分自身のためにもなります。達観すると世の中そんなものでしょう。本当に利己的なのは、まず初めに利他の気持ちを持つことです。

継続的に繁栄を続けている会社もあれば、消えてしまった会社もあります。違いは、後者は明らかに利己の考えが全面に出て、相手に伝わっていたように感じます。自社だけの成功を勝ち取ろうと、お客様や取引先の成功を考えていなかったと言っても良いかもしれません。優れた事業によって結果的に自社の成功があります。その優れた事業の土台となってきたプロセスには、お客様や取引先の協力や成功があったはずです。そこをないがしろにしていると、関係先から嫌われ事業が上手くいかなくなっていきます。一方、自社の繁栄のプロセスに利他の気持ちがあれば存続できる可能性は高まります。 人が見ていないところにその人の本心が出ます。誰も見ていないから良いだろうとズルをしていると、いずれ必ずバレます。ズルをする人は、そういう人相になっていくからです。ズルしそうな人に、人が集まってくるはずがありません。そして、お金は人が運んでくる以上、お金も集まってきません。紙一枚の厚さでも、人のために何かを積み重ねることで、いずれは誰も手の届かないところまで行けると思います。

参考文献:凡事徹底